Back to homepage   高橋氏から送付された「公開質問状」

 以下は、6月15日付けで、高橋史朗氏より送付された「公開質問状」に対し、回答した文書です。


「公開質問状―『新たな全体主義』を憂慮する―」に応える

2006年7月5日
東京都の男女平等参画政策の後退を憂慮する市民の会



 先に私たちは、高橋史朗氏(明星大学教授)が第3次東京都男女平等参画審議会委員に選ばれたことに対する「憂慮声明」を、802名および13団体の賛同署名とともに、東京都知事および東京都生活文化局長に提出しました(2006年5月22日付)。
 それに対して、この度、高橋史朗氏から、東京都を通じて「公開質問状」が寄せられました(平成18年6月15日付)。その内容は、「憂慮声明」に対する「反論」、およびその反論に対する当会の「見解」を早急に求めるものでした。
 しかるに、私たちの「憂慮声明」は、高橋氏個人の言論活動に対して向けられたものではなく、あくまでも高橋氏を男女平等参画審議会委員として専任した東京都に宛てられたものであり、したがって当会としては、高橋氏からの「公開質問状」の内容に関する「反論」や「見解」を公表する必要ないし義務があるとは考えません。
 以上をもって、高橋氏からの「公開質問状」に対する当会からのお返事といたします。

      ***

 なお、高橋氏の「公開質問状」には、当会に対する不当な誹謗・中傷といわざるを得ない文言が見られます。この点については、当会としても看過することはできませんので、若干の見解を述べさせていただきます。
 高橋氏は、東京都に対して「憂慮声明」を提出した私たちの行動について、以下のように述べておられます。

 審議会という「公の席」において、多様な意見、少数意見を尊重するのが「民主主義社会」なのではないか。それを否定することは「われわれが築いてきた民主主義社会」を自ら否定する自殺行為であり、少数者の人権を侵害する「新たなファシズム」と言わざるを得ない。このこと自体が重大な問題であると、逆に私は「憂慮」する(以下略)。

 さらに高橋氏は、同文書中の他の箇所でも私たちの行動について「ファッショ」という言葉で非難しておられます。何より、「公開質問状」の副題が、私たちの行動を高橋氏が「全体主義」に類するものであるとみなしていることを示唆しています。
 以上のような文言は、私たちの行動の意義を不当にねじまげ、一般市民に対して歪んだ印象を与える危惧があり、断じて見過ごすことはできません。

 今回の「憂慮声明」提出において、私たちは東京都に対して高橋氏を審議会委員から罷免せよとか、審議会委員を変更せよなどと主張したわけでもなく、また高橋氏を審議会委員に選んだことについて抗議や反対をしたわけでさえありません。審議会委員の選任手続きに鑑みて、市民の集まりである私たちにそのような権限がないことは明らかです。だからこそ、私たちが提出したのは「憂慮」声明だったのです。今回の人事が東京都における男女平等参画行政の後退を招くことを憂慮することの公表――私たちの意図はそれ以上でも以下でもありません。この点については、「憂慮声明」を知事室の担当者および男女共同参画室長にお渡しする際にも、明確にお伝えいたしました。
 それが、どうして「多様な意見、少数意見を尊重する」「民主主義社会」の「否定」であるとか、「人権を侵害」する「ファシズム」であるとかいった歪めた解釈をされねばならないのでしょうか。通常、「ファシズム」とは、言論活動を強権によって封じるような政治のあり方を指す言葉であると考えられますが、上記の通り、私たちが高橋氏の言論活動を強権によって封じたという事実はまったくないのです。まさか「憂慮」を表明すること自体が「ファシズム」であるというような飛躍した主張をされているのではないでしょう。少なくとも私たちは、高橋氏が「公開質問状」において私たちの行動を「憂慮」されたことをもって、高橋氏が私たちの言論を封じたとか、「新たな全体主義」によって私たちを弾圧したなどとは毛頭考えません。
 結局、明白なのは、高橋氏が「公開質問状」において、「全体主義」や「ファシズム」といった大仰な非難の表現を、きちんと定義もしないまま、(高橋氏自身のお言葉を借りて言えば)「煽動」的に用いて、私たちの行動の意味を不当にねじまげておられるということであります。この点について、私たちは高橋氏に対して厳重に抗議いたします。
 最後に、今回の私たちの「憂慮声明」が、まさしく高橋氏のいう「民主主義社会」における「多様な意見、少数意見」の表明そのものであることを改めて確認しつつ、これ以降、高橋氏を含む「多様な意見、少数意見」の応酬については、それぞれの個人の言論活動に委ねるべきであると考えます。