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【抗議/声明/評論等】

(「GFBへの対抗」に関連する文書です。下に行くほど古くなります。)

【抗議/声明/評論等】「今こそいるねん『ジェンダー平等』宣言」 06.07.16

(06.10.01 upload)

 以下は、今年の7月16日に大阪で開催された集会、「シンポジウム 今こそいるねん 『ジェンダー平等』 いらんて!そんなバッシング」において採択された文書です。この集会は、3.25の東京集会を受けて行なわれたものですが、参加者総数150名。会場はすぐに満席となり、あちこちから椅子を借り、果ては廊下にあった長椅子も借り出しての大盛況でした。


「今こそいるねん『ジェンダー平等』宣言」


 思い起こせば、1996年。審議会答申にもとづき発表された「男女共同参画2000年プラン」において、「ジェンダー」という国際概念は、ようやく日本の行政施策に公に取り込まれたはずでした。ところが、あの日から10年も経たないうちにわき起こったバックラッシュの波は、時代の右傾化の風を受けて全国津々浦々におしよせました。その結果、「ジェンダー」「ジェンダーフリー」という言葉そのものを使わせないという、まさに言論の自由を奪う脅しやいやがらせに、行政までもが屈するという憂うべき現象があちこちで見られるようになっています。

 私たちは、いわゆる女性の問題を取り上げるとき、憲法で保障された人権の概念を「男女平等」という言葉を使って語り合ってきました。たとえば、労働の場で能力を発揮しようとするとき、教育の場で名簿を扱うとき、意思決定の場の椅子に座ろうとするとき、そしてまた、「おい!」「飯、風呂!」としか妻を呼ばない夫にも、人として平等である権利を「女であることを理由に差別するな」と要求し続けて来たのです。その闘いの結果、憲法で「男女平等」が宣言されてからの年月のあいだに、私たちは幾つもの平等を勝ち取ってきました。

 しかしその一方で、「男女平等」という言葉を口にしたとたん、必ずと言っていいほど持ち出されたのは「男らしさ」「女らしさ」の尊重でした。今度は、人々を男女二分法で切り分け「らしさ」を尊重させたうえでの平等、つまり「条件付きの」平等を強いる声と闘わねばならなくなったのです。

 ところが、この鉄のように重い扉の鍵をはずす力を持って登場したのが「ジェンダー」という概念であり、言葉でした。この新たな言葉こそ、私たちがずっと求めてきた平等をもたらすのに不可欠な表現であり、1995年の第4回世界女性会議で地球上の全ての女性問題を解決するキーワードとして認められて、私たちを新しい夜明けに導いたのです。

 日本においても、この10年の間に、いくつかの法整備にみられるように、ようやく扉が開きはじめました。また日本では、「ジェンダーフリー」(ジェンダーに縛られない/ジェンダーによる差別から解放された)という言葉も生み出され、人々の多様な可能性とそれゆえの平等を求める運動へと重要な一歩が進められました。その歩みに水をさすようなバッシングは絶対に許すことはできません。まして統計的に明らかなように、また個々の女性・性的少数者の置かれた状況が明らかにしているように、ジェンダー・エンパワメントが立ち後れている現状を鑑みれば、「ジェンダー」と「ジェンダーフリー」へのバッシングによって、今後日本の取り組みが後退することは確実です。私たちは、バックラッシュに負けることなく、今こそこの「ジェンダー」という言葉を使い続けることによって、さらなる平等を求める必要があります。

 私たちは、「男女平等」という言葉によって闘ってきた時から長らく人としての平等を求めてきた者として、また多様な生のあり方を認め合う者として、「ジェンダー」と「ジェンダーフリー」に対する言葉狩りに断固として反対します。そして、これらの言葉が個々の闘いの場でもつ重要性を尊重し、共に支え合います。

 今日ここに、私たちは、あらゆるバッシングをはねのけて「ジェンダー平等」社会の実現をめざすことを誓うと共に、「今こそいるねん『ジェンダー平等』!」と声を大にして叫びたいと思います。

2006年7月16日

「シンポジウム 今こそいるねん 『ジェンダー平等』 いらんて!そんなバッシング」参加者一同

上野千鶴子「月曜評論」@信濃毎日新聞 06.09.04

(06.09.19 upload)

「『ジェンダー』への介入」


 日本各地で男女共同参画行政への揺り戻し(バックラッシュ)が始まっている。

 今年の1月に東京都が国分寺市の人権講座の講師にノミネートされたわたしに、「ジェンダーフリー(社会的・文化的な性差の解消)という用語を使うかも」というだけの理由で介入した国分寺市事件。この3月に、千葉県議会が県女性センター設置のための条例案を否決して、同県内の3館が事業停止に追い込まれた千葉県議会事件。そして4月に発覚した、"福井県焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)事件"・・・。

 福井県のケースは、県生活学習館「ユー・アイふくい」の開架書架から、ジェンダー関連の図書153冊が撤去されたという事件である。そのなかに、わたしの著書が共著も含めて17冊も入っていた。市議らの抗議によって書籍はもとに戻ったが、その後も書籍リストの情報公開をめぐって福井県の迷走が続いた。

*      *

 自民党が「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」をつくったのが2005年。官房長官に就任する前の安倍晋三氏が座長、現男女共同参画、少子化担当政務官の山谷えり子氏が事務局長を務めた。全国から3500の実例が集まった、というが、その大半は根拠の薄弱な伝聞情報。それにもとづいて「ジェンダーフリー」を使わないという内閣府の通達を引き出し、はては「ジェンダー」という文言の削除を要請するにいたった。

 第20期の現日本学術会議には、「学術とジェンダー」の課題別委員会があるが、すでに世界的に確立した学術用語である「ジェンダー」に対する政治的な介入に警戒を強めている。山谷氏に至っては、「無償労働」や「家族経営協定」も不適切と主張している。「家族経営協定」とは、農家の嫁の無償労働の経済評価を求めて、戦後各地の農村ですすめられてきた家族の民主化運動の目標ではなかったか。

 一部には男女共同参画社会基本法の改廃をめざす動きもある。基本法は99年に国会で全会一致で可決されたもの。前文には「21世紀の我が国社会を決定する最重要課題」とあるのに、数年のうちに起きたこの揺り戻しは何だろう。

*      *

 ポスト小泉の総裁レースは安倍氏独走と言われている。靖国参拝をめぐって安倍氏のタカ派ぶりが争点になっているが、彼の政治姿勢に危惧(きぐ)を持つのは外交についてばかりではない。女性に人気があるといわれるソフトな外見の背後に、保守的な家族観がある。氏のブレーンと言われる中西輝政、八木秀次、西岡力氏らは、保守系論壇誌の常連執筆者で、「日の丸・君が代」を推進し、「慰安婦」を否認する「新しい歴史教科書」づくりに関係した人たちだ。

 歴史のなかには「一歩前進二歩後退」の例がいくらでもある。この30年、女性を取りまく状況は大きく改善した。今の若い女性は、あたりまえのように大学に進学し、企業で働くことを人生の選択肢のうちに入れ、結婚したからといって退職を強制されず、セクハラを受ければ告発する権利を持っているが、どれも先輩の女性たちが苦闘のなかから手に入れたものだ。既得権と思っているものも、闘って守らなければたやすく失われる。女性が元気になることを、喜ぶ人たちばかりではない。

 「女は台所にひっこんでいろ」と言われる時代がまた来るかもしれないと思えば、今度の総裁選のもうひとつの争点は「ジェンダー」だということを忘れないでいたい。

(うえの・ちづこ 東大大学院人文社会系研究科教授)

上野千鶴子「役人のいる場所」@『都政新報』不掲載原稿 06.06.06

(06.09.19 upload)

 月刊誌『サイゾー』最新号(7月号)に、「上野教授拒否事件の余波!? 都庁御用メディアの体たらく」という記事が掲載されています(p.40)。『都政新報』という専門紙が、上野さんに執筆を依頼した原稿が不掲載になっていたと報じるものですが、以下はその不掲載原稿です。


「役人のいる場所」 上野千鶴子(社会学者)

 東京都教育庁生涯学習スポーツ部社会教育課長、船倉正実氏。同課人権学習担当係長、森川一郎氏。同部主任社会教育主事(副参事)、江上 真一氏。2005年から2006年にかけてこの職にあった。

 わたしはこの人たちに個人的なうらみはない。だがこの時期にこの職にあったばかりに、この人たちは地雷を踏んだ。自分の踏んだ地雷の大きさに、おそらく気がついていないだろう。

 ほかでもない、国分寺市の講師拒否事件のことである。すでに新聞で報道されているが、知らない人のために解説しておこう。2005年、国分寺市は東京都教育委員会との共催事業に、上野を講師とする人権講座を計画した。テーマは「当事者主権」。講演料について担当者が都に問いあわせたところ、「ジェンダーフリーに抵触するおそれがある」と拒否。事業そのものが実施不可能になった、という事件のことである。原因をつくったのは、国分寺市ではなく東京都だから、これ以降は、東京都事件と呼ぼう。

 わたしはこの事件に、1月13日付けの公開質問状を配達証明で送って抗議。わたしが女性学の研究者だから、という理由で、実際に使ってもいない「ジェンダーフリー」の用語を、「使うかも」という可能性だけで排除するのは、言論統制・思想統制にあたる、許せない、という理由からである。これにただちに全国の女性学・ジェンダー研究者、行政および教育関係者が応じて、短期間に1808筆の署名があつまり、1月28日、若桑みどりさんをはじめとする呼びかけ人が、都庁を訪れて抗議文を手渡した。3月25日には「ジェンダー概念を話し合うシンポジウム」がジェンダー関係者を集めて熱気のある盛りあがりを見せた。詳しい経過や情報については、ホームページを参照してほしい。

 この事件にはいくつものアクターが関与している。

 まず第1は、筋をとおした「準備する会」の市民たち。この人たちは都の介入に抵抗し、講師の変更を拒否、国分寺市から妥協案も排した。この件がオモテに出たのは、国分寺市市民の方たちのおかげである。この人たちは「東京都の人権意識を考える会」を開催し、都に抗議してきた。

 第2に、国分寺市の職員の人たち。国分寺市は市民との協働を積み重ねてきており、市民の意向を尊重するように動いた。市民との話し合いを何度も持ち、都とのやりとりを情報公開した。

 第3に、取材に動いた新聞記者。1月9日付けの毎日新聞に、船倉氏の発言が出た。これが出たから、わたしは初めて、引用し、反論することが可能になった。こういう発言が新聞という公器に載った意味は大きい。

 考えてみれば、これと同じようなことが各地の自治体で起きてはいないか。そしてそれは誰にも知られることなく、闇から闇へと葬られてはいないだろうか?思いあたることがいくつもある。例えばある地方自治体が主催する社会教育事業に、上野の講演が予定されていた。それを知った保守系議員から横やりが入り、急遽自治体が主催団体から降りることになり、代わって民間団体の主催事業に変えるが予定どおり来てもらえないだろうか、と懇請されたことがある。あいだに立った担当者の苦境を配慮して、わたしは予定どおり出かけたが、会場には行政側の担当者が申し訳なさそうに顔を見せていた。他の同業者から得た情報でも、似たようなことが起きていることを知った。

 そう思えば、冒頭であげた三氏は、よりにもよってこんな時期にこの職に就いていたばっかりに、不運だった(?)ということになるかもしれない。

 ところで、もし、あなたがその時、かれらの立場にいたとしたら?と考えてみてほしい。この人たちは、石原都政の前から都庁の役人をしており、おそらく石原都政が終わったあとも(石原都知事の現在の年齢では、長期政権は考えにくいから)役人をつづけることだろう。石原都政の前には、都庁の役人の評判は悪くなかった。カリスマ職員と呼ばれる優秀な職員がいて、全国的にも先進的な福祉行政を実践していることは知られていた。無能な知事をいただいても都政が破綻しないのは、これら優秀な官僚たちのおかげであると言われてきた。それが石原都政になってから、行政改革の名のもとに都の女性財団が解散を命じられ、福祉行政は後退を強いられ、都立校の性教育に介入が行われ、君が代・日の丸の通達で卒業式のたびに教師のあいだに処分者が続出する。こんな自治体は全国でも例がない。

 石原前/石原後の両方を経験した都の役人たちは、この変化にどう反応しているのだろうか。さらにポスト石原の新政権ができれば、それにまた変わり身速く適応するのだろうか。わたしが実名をあえて挙げるのも、薬害エイズ訴訟であきらかになったように、役人は公権力を行使する位置にあり、その立場にいる個人の作為や不作為で実際に加害や被害が起きるからだ。都政は、「あなた」がつくっている。有名人になったこの人たちの「その後」を、ずっとウォッチしたい。(結)

要望書 06.06.05

(06.09.19 upload)

 昨年12月27日に閣議決定された第2次男女共同参画基本計画の策定に際して行なわれた攻撃、基本計画にみられる「ジェンダー・フリー」への注記、1月31日に出された内閣府通知、福井県生活学習館で発生したジェンダー(フリー)関連図書撤去事件など、男女共同参画政策への攻撃に対して、有志を募り、6月5日に内閣府を訪問して猪口大臣と面談しました。その時に提出した要望書です。


2006年6月5日

内閣府男女共同参画担当大臣 猪口邦子 様


要  望  書


 日頃の男女共同参画への取り組みに敬意を表します。

 さて、昨年12月27日に閣議決定した第2次男女共同参画基本計画については、政策決定過程への女性の参画の拡大やチャレンジ支援など評価すべき点がある一方、「ジェンダー」の表記など、第1次の基本計画より後退したというきびしい評価があります。また、基本計画に「ジェンダー・フリー」用語を使用しての不適切な事例などが記述されたことについては、男女共同参画や男女平等を進める目的で使用されてきた「ジェンダー・フリー」に対し、批判や攻撃がこれまで以上に行なわれるのではないかと危惧する声が当初からありました。

 今年はじめには、上野千鶴子東大大学院教授の国分寺市での講演が、「ジェンダー・フリー」という用語や概念を用いる可能性があるとして中止になったことが明らかになりました。このことに対しては、男女共同参画に取り組む研究者や市民が、用語統制の顕著な事件として受け止め、抗議行動を起こしました。

 このような「ジェンダー・フリー」への攻撃が行なわれる中、1月31日には男女共同参画局から都道府県・政令指定都市の男女共同参画担当課に対し、「ジェンダー・フリー」用語の不使用を促す事務連絡が出されました。この事務連絡により、私たちは、用語統制やジェンダーへの攻撃に拍車がかかるのではないかと危惧いたします。実際、埼玉県では次期基本計画から「ジェンダー・フリー教育の推進」を削除する理由にこの事務連絡があげられました。

 また、福井県生活学習館が今年3月、県の男女共同参画推進員から「内容が過激すぎる」と指摘され、フェミニズムや性教育に関係する書籍150冊を書架から撤去していたことが明らかになりました。撤去の理由に政府のジェンダー定義が使われたこともわかりました。このような形で県民の知る機会や学習の機会を制限することは問題であり、思想統制につながるのではないかと懸念します。すでに書籍が元に戻されたということですが、このようなことが他県にも波及するのではないかと憂慮します。

 そもそも、基本計画に「ジェンダー・フリー」用語を使用しての不適切な事例が盛り込まれたことについては、その根拠が明らかにされていません。文部科学省が昨年11月、全国の小・中・高等学校や幼稚園などを対象に行なった、男女同室着替えや身体検査、運動会での男女混合騎馬戦や徒競走、幼稚園での桃の節句や端午の節句の行事などについての実態調査については、結果の公表を今年3月末としがら未だに行なっていません。したがって、全国調査の結果が基本計画に反映されたのではないことは明らかです。

 鹿児島県議会では一部議員が修学旅行での男女同室宿泊を大きく取り上げましたが、その後、情報源とされた「新しい歴史教科書をつくる会」元会長が「伝聞や週刊誌で情報を得たが、学校など当事者には一切確認していない」と非を認め、事実無根だったことが報道により明らかになっています。

 つきましては、ジェンダーを主流化するために尽力されている猪口大臣におかれましては、誤った理解に基づいて行なわれる攻撃や、言論や思想の統制につながることのないよう、ジェンダー概念の正しい理解を周知徹底されることを強く要望いたします。

ジェンダー平等社会の実現を求める有志(五十音順)
安達倭雅子 (NPO法人チャイルドライン支援センター常務理事)
上野千鶴子(東京大学大学院教授)
落合恵子(作家)
亀田温子(日本女性学会会員)
河野美代子(産婦人科医)
榊原富士子(弁護士)
坂本洋子(mネット・民法改正情報ネットワーク共同代表)
清水澄子(I女性会議常任顧問)
蔦森 樹(琉球大学非常勤講師)
中村紀伊(財団法人 主婦会館理事長)
橋本ヒロ子(十文字学園女子大学教員)
福島みずほ(参議院議員)
藤原房子(ジャーナリスト)
村瀬幸浩(一橋大学・津田塾大学講師)
山崎朋子(作家)
若桑みどり(千葉大学名誉教授)

憂慮声明 06.05.01

(06.09.19 upload)

 2006年5月1日に発表された第3期東京都男女平等参画審議会メンバーについて憂慮するメッセージです。5月3日より、5月18日(木)24時を締切時間として賛同署名を募り、同月22日(月)に都庁を訪問して、知事室ならびに生活文化局へ届けてまいりました。ご賛同いただけた方々は、合計802名。さらに13の団体賛同をいただきました。

2006年5月1日

東京都知事 石原慎太郎 殿
東京都生活文化局長 殿

憂 慮 声 明


 本日、東京都は、第3期「東京都男女平等参画審議会」の開催と、委員全25名を発表しました。この審議会は、東京都が2000年4月1日から施行している「東京都男女平等参画基本条例」に基づき、東京都の男女平等参画行動計画その他男女平等参画に関する重要事項を調査審議するために設置される、知事の付属機関です。東京都では現在「男女平等参画のための東京都行動計画・チャンス&サポート東京プラン2002」を指針として男女平等参画施策が進められていますが、この行動計画は今年度末で実施終了期限を迎えます。本日発表された第3次審議会は、この5年間の行動計画実施状況を振り返り、評価し、新たな次期行動計画策定に向けた答申をまとめるという、いわば東京都の男女平等参画施策の方向付けを決める重要な役割を帯びています。

 私たちは、その名簿の中に、「高橋史朗」氏の名前があることを知り、大変驚きました。高橋氏の男女平等に対する認識や、それに関わる発言、彼の名によって発表された文書などは、ことごとく東京都男女平等参画条例に反するものといわざるを得ません。そのような人物が「東京都男女平等参画審議会」委員として加わることは、今後の東京都の男女平等参画施策の行く末に、大きな問題を引き起こすのではないかと憂慮します。

 東京都では、条例施行後も、男女平等推進基金の一般財源化を財政困難という理由のもとに実行し、また審議会等委員への女性登用率35%の数値目標を掲げながら実際には低下するなど、見過ごせない平等施策の逆行がいくつも見受けられます。東京都の男女平等参画施策のこれ以上の後退は許されないのです。

 そのような中での高橋氏の委員就任と、審議会での今後の審議や男女平等参画施策の運びは、全国からの注視のもとにあります。私たち東京都の男女平等参画政策の後退を憂慮する市民の会は、今後の審議会などを注意深く見守り、全国に発信し続けていくことを公表します。


呼びかけ人(敬称略・五十音順・06.05.17現在);
赤石千衣子(ふぇみん)、浅井春夫(立教大学教授)、石坂啓(マンガ家)、伊藤みどり(女性ユニオン東京)、井上輝子(和光大学教員)、上野千鶴子(東京大学大学院教授)、江尻美穂子(津田塾大学教授)、戒能民江(お茶の水女子大学教員)、加藤秀一(明治学院大学社会学部教授)、亀永能布子(「女のホットライン」)、北原みのり(ラブピースクラブ)、坂本洋子(mネット・民法改正情報ネットワーク)、佐藤文香(一橋大学大学院助教授)、東海林路得子(矯風会ステップハウス所長)、俵義文(子どもと教科書全国ネット21)、田中かず子(国際基督教大学教授)、鶴田敦子(子どもと教科書ネット21代表委員)、中野麻美(弁護士)、中山千夏(作家)、丹羽雅代(アジア女性資料センター)、橋本ヒロ子(十文字学園女子大学教授)、細谷実(日本倫理学会・関東学院大学教員)、丸本百合子(百合レディスクリニック)、皆川満寿美(埼玉ベアテの会・大学非常勤教員)、三宅晶子(千葉大学教授)、若桑みどり(千葉大学名誉教授)、吉見俊哉(東京大学教授)、米田佐代子(女性史研究者)

東京都の男女平等参画政策の後退を憂慮する市民の会

上野千鶴子「月曜評論」@信濃毎日新聞/熊本日日新聞 06.01.23

(06.09.19 upload)

 上野さんが、東京都/国分寺事件についてその経緯を書いたもの。ウェブ掲載に当たってはメディアの許諾を得ています。

ジェンダー・フリーをめぐって

 正確にいうと、売られたけんかを買っただけで、こちらから売ったわけではない。毎日新聞(2006年1月10日付け)に「ジェンダー・フリー問題:都『女性学の権威』、上野千鶴子さんの講演を拒否/用語など使うかも…『見解合わない』理由に拒否−−国分寺市委託」の記事が掲載されたので、知っている人もいるかもしれない。主催側の市民団体の方たちから、都の委託事業で国分寺市が主催する人権講座に、「当事者主権」のテーマで講演してほしいという依頼を受け、それが都の介入によって取り消しになった経過説明を受けていた。だが、都の説明文書があるわけではなく、もっぱら伝聞情報ばかりなので、反論のしようがない。毎日新聞の記者が、都の東京都教育庁生涯学習スポーツ部社会教育課長に取材して、発言を記事にしてくれた。それでようやく言質がとれた。

 それによれば「上野さんは女性学の権威。講演で『ジェンダー・フリー』の言葉や概念に触れる可能性があり、都の委託事業に認められない」とある。私は女性学の「権威」と呼ばれることは歓迎しないが、女性学の研究者ではある。都の見解では、「女性学研究者」すなわち「ジェンダー・フリー」の使用者、という解釈が成り立つ。わたしに依頼のあった講座は、人権講座で、タイトルにも内容にも「ジェンダー・フリー」は使われていないのに、「可能性がある」だけで判断するのだから、おそれいる。世の中には、「ジェンダー学」を名のる研究者も多く、それらの人々はましてや「ジェンダー・フリー」を使う可能性が高い。そうなると、女性学・ジェンダー研究の関係者は、すべて東京都の社会教育事業から排除されることになる。

 わたしは石原都政以前には都の社会教育事業に協力してきた実績があるし、現在でも他の自治体からは教育委員会や男女共同参画事業の講演者に招聘されているのだから、都にとってだけ、とくべつの「危険人物」ということなのだろうか?

 看過するわけにいかないので、公開質問状を、石原慎太郎東京都知事、東京都教育委員会、国分寺市、国分寺市教育委員会等に1月13日付けの内容証明郵便で送った。意思決定のプロセスを明らかにし、責任が誰にあるのかを問うことと、上野が講師として不適切であるとの判断の根拠を示すように求めたものである。回答の〆切は1月末日。

 こういうやりとり、おそらく石原知事は「余は関知せず」というだろう。都庁の役人が、都知事の意向を忖度してやったことと思うが、この時期に都の生涯学習スポーツ部社会教育課長という職にたまたま就いていた人物は、自分がどんな地雷を踏んだかに気がついていないだろう。この役人も、おそらく石原都政前には別な判断をしていただろうし、石原政権が交替すればまたまた変身するかもしれない。すまじきものは宮仕え。ご苦労さんとは思うが、ことは上野個人の処遇に関わらない。ゆきすぎた「ジェンダーフリー・バッシング」には徹底的に反論しなくてはならない。

 公開質問状は主要メディアにも同時に送付した。現在までのところ、毎日とNHKは報道、朝日と時事通信からは取材、外国人記者クラブからもコンタクトがあった。本欄の読者の方たちは、このエッセイで初めて知ることになるだろうか。今後の帰趨を見守ってもらいたい。

抗議文;上野千鶴子東大教授の国分寺市「人権に関する講座」講師の拒否について、これを「言論・思想・学問の自由」への重大な侵害として抗議する

(06.09.19 upload)

 この「抗議文」をまとめたわたしどもは、インターネット上にこれを展示し、賛同を呼びかけました。呼びかけ期間は、1.23夕刻より1.26正午までという極めて短いものでしたが、このような短期間に、1808人の個人、6団体よりご賛同をいただきました。このご賛同とともに抗議文を携え、1.27に都庁を訪問してこれを手渡し、その後記者会見をいたしました。


東京都知事         石原慎太郎 殿
東京都教育委員会 教育長  中村 正彦 殿
東京都教育委員会 各位



抗 議 文

上野千鶴子東大教授の国分寺市「人権に関する講座」講師の拒否について、
これを「言論・思想・学問の自由」への重大な侵害として抗議する


1 言論の自由の侵害について

  報道によれば、今回の拒否の一因として、同教授がその講演において「ジェンダー・フリ−という言葉を使うかも」という危惧があった故だとされている。ひとりの学者/知識人がその専門的知見において、その著書または講演のなかでいかなる用語を用いるかは、学問・思想・言論の自由によって保証されている。学問・思想・言論の自由は、民主主義社会の根幹であり、なんぴともこれを冒すことはできない。

 まして、その講演が開催され、実際に発話されたのではないにもかかわらず、その用語が発せられるだろうという“憶測”によって、前もってその言論を封じたということは、戦前の「弁士中止」にまさる暴挙であり、民主憲法下の官庁にあるまじき行為である。

 このような愚挙がまかり通れば、今後、同様の“憶測”、”偏見 ”に基づいて、官憲の気に入らぬ学者/知識人の言論が政治権力によって封殺される惧れが強くなる。日本が戦前に辿ったこの道を行くことをだれが望むであろうか。それが日本の社会に住むひとびとの幸福な未来を描くと、誰が思うであろうか。

2 学問と思想の自由の侵害について

 ジェンダー理論は国際的に認知された思想・知見・学問である。現在欧米及びアジアの主要大学において、ジェンダー理論の講座を置かない大学はなく、社会科学、文化科学の諸分野でジェンダー理論を用いずに最新の研究を開拓することは困難である。

 いっぽうでは、それは1975年、第一回世界女性会議以降、世界のいたるところで太古から実行されてきたあらゆる種類の女性への差別を撤廃し、人間同士の間の平等を実現するという国際的な行動と連動し、その理論的な基盤を提供してきた。学問と社会的改良とは両輪となって人類の進歩に貢献してきたし、これからもそうである。

 しかしながら、「ジェンダー理論」は、同時期に国際的に認知された「ポストコロニアル理論」と同様に、3〜40年の歴史しかもっていない。したがって日本の人々のあいだにその用語および理論への理解が定着するにはまだまだ時間がかかるであろう。

 しかし、それは喧伝されているように「日本の伝統に反する」「外国製の」思想ではない。なぜならば、すでに明治時代からわれわれの先輩たちは、女性もまた参政権を得るために、また女性としての自立権を得るために血のにじむ努力をしてきたからである。この人々は新憲法によってその権利を保証されるまでは、弾圧と沈黙を強いられてきた。いまだに、在日朝鮮人をはじめとする外国籍市民は、参政権すら得ていない。日本の、また世界のひとびとが平等な権利を獲得するための、長い旅程の半ばにわれわれはいる。

 そのようなわれわれ自身の知見と努力の歴史の上に、国際的な運動のうねりと学問の進歩によって、われわれは国際的な用語としての「ジェンダー」とその問題を解明し、解決することをめざすジェンダー理論を獲得したのである。思えば、日本社会に生きるわれわれは、常に有用な智恵を世界に学び、これを自己のうちに内在する問題と融和させ、独自のものとして実践してきたのではなかったか。そこにこそ日本の社会の進歩があった。女性学・ジェンダー研究者は、今まさにそのために研鑽、努力している。その教えをうけた無数の学生、教育現場で実践する教師、地域で活動する社会人は、グローバルな運動の広範な基盤をなしている。上野氏はその先駆的なひとりである。今回の事件についてわれわれは強い危惧の念を覚えている。先人の尊い努力によってようやくに獲得できた思想、学問、行動の自由の息の根を止めさせてはならない。

3 ジェンダーへの無理解について

 ジェンダーは、もっとも簡潔に「性別に関わる差別と権力関係」と定義することができる。したがって「ジェンダー・フリー」という観念は、「性別に関わる差別と権力関係」による、「社会的、身体的、精神的束縛から自由になること」という意味に理解される。

 したがって、それは「女らしさ」や「男らしさ」という個人の性格や人格にまで介入するものではない。まして、喧伝されているように、「男らしさ」や「女らしさ」を「否定」し、人間を「中性化」するものでは断じてない。人格は個人の権利であり、人間にとっての自由そのものである。そしてまさにそのゆえに、「女らしさ」や「男らしさ」は、外から押付けられてはならないものである。

 しかしながら、これまで慣習的な性差別が「男らしさ」「女らしさ」の名のもとに行われてきたことも事実である。ジェンダー理論は、まさしく、そうした自然らしさのかげに隠れた権力関係のメカニズムを明らかにし、外から押し付けられた規範から、すべての人を解放することをめざすものである。

 「すべての人間が、差別されず、平等に、自分らしく生きること」に異議を唱える者はいないだろう。ジェンダー理論はそれを実現することを目指す。その目的を共有できるのであれば、目的を達成するためにはどうすべきかについて、社会のみなが、行政をもふくめて自由に論議し、理解を深めあうべきである。

 それにもかかわらず、東京都は、議論を深めあうどころか、一面的に「ジェンダー・フリー」という「ことば」を諸悪の根源として悪魔化し、ジェンダー・フリー教育への無理解と誤解をもとに、まさに学問としてのジェンダー理論の研究および研究者を弾圧したのである。このことが学問と思想の自由に与える脅威は甚大である。

 以上の理由をもって、われわれは東京都知事、教育庁に抗議し、これを公開する。

     2006年1月23日

呼びかけ人  若桑みどり(イメージ&ジェンダー研究会・ジェンダー史学会・美術史学会・歴史学研究会)
  米田佐代子(総合女性史研究会)
  井上輝子(和光大学・日本女性学会)
  細谷実(倫理学会・ジェンダー史学会・関東学院大学)
   加藤秀一(明治学院大学)

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