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福井事件home  東京都に抗議する!  東京都の男女平等参画政策の後退を憂慮する!  猪口大臣に面会しました!

福井県議会議事録より(2005年10月04日 予算特別委員会)
「ジェンダーフリーについて」

小泉剛康委員;次に、教育行政についてお尋ねしたい。
 実は、現代保健体育という教科書がある。これは県内の高等学校で使用している教科書だ。この教科書の内容を私なりに精読をさせていただいた。現在、藤島、高志、羽水など、福井県のほとんどの高等学校でこれが使われているわけであるが、この中の5項目めに「家族計画と人工妊娠中絶」という項目がある。その中の2に「避妊法とその選択」という項目がある。ちょっと参考のために、読み上げてみる。
 「我が国のカップルの間では、現在広く用いられているのはコンドームによる避妊法である。コンドームは容易に手に入れられる上、正しく使えば避妊の効果も高く、さらに性感染症の予防にも効果がある。また、飲むことによって避妊できるピルもある。ピルは女性ホルモンを調節し排卵を抑える避妊法で、女性が飲み方を間違えずにきちんと服用すれば100%近い効果がある。現在、使用可能な避妊法のうち最も確実な方法の一つである」ということで、写真を入れて説明してある。しかも、「ピルは避妊効果の高さだけでなく、女性の意思だけで実行できるという利点もある」ということで、この記事を見て、これはいかにも高校生がこういう方法を使えば自由に使用できるというように、いかにも推奨しているような認識が生まれるわけである。しかも、ここには副作用については全然書いてない。
 それでまた、その次のページを見ると、「性について話し合ってみよう」というところがある。ここは、この生徒たちの仲間の語らいを書いてある。その目的は、性的自己決定をどうするかということを前提にした会話である。これも教科書に出ている。
 ある女子生徒である。「入学してからずっとあこがれていた先輩との2回目のデートのとき、おれのこと好きなんだろ、だったらセックスしようと誘われた。きょうはもう家に帰らないと親が心配するからと言って、その日は何もしないで帰った。でも次のデートのときにはまた誘われそうで不安である。そのことを友達に相談したら、断ったら彼がかわいそうだ、いつか体験することだから早くしちゃいなよと言われた。先輩のことが好きだから嫌われたくない。セックスはまだしていないけれども、友達の中にはもう体験した子もいるようで、興味はある。でも迷っている。」友達からは、「断ったら彼がかわいそう、いつか体験するんだから早くしちゃいなよ」とアドバイスされたということであるが、このような具体例を教科書の中で述べることについての、教育長、御意見をお聞かせいただきたい。

◯教育長;まず、先ほどのテキストであるけれども、県内の高校においてやっている、いわゆる家族計画を前提にした避妊法としているけれども、これは決して高校生に性行為を容認するというものではないと思う。
 それからもう1点、非常に激しいというか、今の社会の中学、高校生の性に関する環境というか、以前に比べると問題にならないほど刺激的なものがあるわけであって、そういった中でやはり家庭、地域、学校全体がどうこうといろいろな議論をしなければいけないだろうと思う。

◯小泉委員;さらに、「本当に好きな人なら高校生だからとかなんだとかは関係ないと思うし、セックスしたってというように思う」と、「私はまだだけれども周りの人たちはみんなもう経験しているらしく、妊娠が心配なら避妊すればいいのだから」というようなことを添えている。
 私はなぜこのことを申し上げるかというと、教科書は検定を受けた教科書である。これを選ぶのは学校単位である。それは教育委員会も関与しているだろうけれども、こうしたことはいかにも高校生に性の問題についてあおっているような感じがしてならないのである。しかも、この時期の生徒というのは非常に個人差の激しい年代である、男性においても、女性においても。そういうようなことで、消化し切れない生徒、あるいはもう既にそのことを十分経験している生徒、そうしたものの影響を考えると、こういうようなところから、最近、いわゆる性犯罪が多発しているような気がする。
 これは私ども大人が見ても不自然である。だから教育委員会にあっても、学校の先生ですら性犯罪を起こすような時期であるから、私はこういうようなことを考えると、これが少年の、いかに低年齢化してきたとはいいながら、私は非行化の原因がこういうところからあるのかなと、教科書だからないと思いたいのであるが、私はそのようには思えない。
 したがって、自己を抑制する指導だとか、あるいは純潔のとうとさであるとか、そういう視点が全く書いてない。両方列記したのならまだしも、そういうことが書いてあるのは一橋出版の保健体育であるが、ここにはそのことを若干述べている。私はこういうことが、これからの若者の性習慣というものをどのようにしていくんだろうと、非常に心配である。
 きょうの午前中の質問の中にも喫煙の話が出てきた。今や中学生、高校生の中で喫煙をする生徒が、表にどの程度のデータで出ているのかわからないが、半ば公然とされているような話もお聞きする。それも実態だろうと思う。しかし、一方ではこういう性教育も、こうしたことはもう半ば公然のように、仕方がないんだと、時の流れだからということで押し流されているところに、実は危険性を感じてならないわけである。
 これについて、教科書だからいたし方ないということであるならば、私は教育委員会としてもそこで何らかのチェック機関があってもいいのではないかと思うが、教育長、その辺、率直にどうであるか。

◯教育長;大事ことは、子供の心身の発達段階というか、そういったものを十分踏まえながら適切な性教育をいかに行うかということだと思う。これがイコール性行為容認というのにつながってはいけないし、またつながるわけでもないということだと思う。
 それから、性犯罪云々という話が出た。たしかにいろいろある世の中であるけれども、これは特に子供の世界だけ多いとか、特定の職場だけ多いとかいうものではないと思う。社会全体が考えなければいけないと思う。
 それから、さっきの委員がお読みになったフレーズにあったけれども、ある日突然、先輩から迫られるというのではなくて、やはりしかるべき結果、予備的にいろいろなことを教えるというか、知識を提供するというようなことも必要なのだと思う。
 いずれにしても、大事なことは、教科書は当然人格の完成とか豊かな人間形成といったところに視点が置かれるべきなのであって、そういった意味では自己抑制とか純潔、それからあるいはまた生命の尊厳とか家族の大事さ、こういったものについて時代を超えて大事なものということで、その枠を超えれば当然しかるべく指導とかが必要であると認識している。

◯小泉委員;教育長の御答弁は極めて模範的な御答弁だと思う。
 そこで、もう一つ、家庭教育というのがある。これも高等学校で使っている。県内の高等学校でたくさん家庭科の中で使っている。これ基礎編と総合編とがあるのだが、この中を見ると、あるいは最近の教科書の編集はこういう傾向にあるのだろうと思うが、「人生と家族と福祉」という項目の中で、問いかけの中の一つを御紹介する。
 「結婚、仕事、家事について、あなたは将来どのようにしたいと思うか」という問いかけに対して、六つの項目があるうちの一つ、「一生独身、家事も仕事も一人でこなす」という項目がある。こういうことが今の少子化現象のある意味では一つの原因になるのかもしれない。なぜここにこの項目が上げられなければならないのかという根拠は定かではない。しかし、私は家庭科の教育の中で、こうしたことが教科書の中にあると、この年代の生徒、学生にしてみれば、これが模範のように聞こえる。そういうことを考えると、極めてこれは恐ろしい現象ではないかと、私なりに実は考えるのである。
 さらに、中を読んでいくと、未婚のまま子供を産み育てるシングルマザーの話が出ている。それから極端な例を幾つも列記してあるわけである。そしてもう一つ、この中の「人生と家族」という項目の中に至ると、この問いかけの中にこんな質問がある。「次の疑問に答えてみよう」というのである。例題である。「A子さんとB男さんは結婚して20年である。であるが、8年前から別居中である。きっかけはA子さんに別の好きな人ができたから。この2人は離婚できるだろうか」という問いかけをして討論会をやっているのである。これは教科書で取り上げるような情報であろうか。これも県内では教科書として使用しているわけであるが、私はこれだけを読むと、いかにも離婚を勧めているような錯覚さえ感じるわけである。
 私なぜこんな赤裸々な具体例を申し上げたかというと、今ここまである意味では非常に性教育が進んでいるのだけれども、やはり現実にはこもっているという実態を私は感じざるを得ない。これが実は中学校の性教育の中でも「性的自己決定」という項目で出ている。好きであればセックスしてもいいんだという自己決定を下すにしては、中学生の年代であるいは高校生の年代で、個人差の激しいときに果たして教育効果上どういう役割を果たすのかということを考えると、私は今ここで慎重に、だめなものはだめ、こうするべきものはこうすべきというような指導があってしかるべきではないかと思えてならない。
 そこで、もう一つ例を挙げてみたい。これはことしの1月30日の県民福井であるが、新聞に出ているが、これは武生市のことであるが、若者の性について考えるセミナーが開かれた。男女共同参画センターの企画で大野東高校の前川教諭の講話があって、「10代の生と性を考える」というテーマで、福井愛育病院の婦人科の鈴木部長さんも入って、性感染症等のクエスチョン・アンド・アンサーで講座をやっている。その中の締めくくりに、先生はどう言っているかというと、「女性らしさより心地よい自分らしさを大切にしてと訴えた後、思いやりを持ったハッピーな性交渉をしてほしい」と高校生に呼びかけている。
 これは、どうせならこういうことでということだろうと私は思うけれども、この発想が私はどうも理解できない。こうしたことがもう既に生徒の間では定着しているように思えてならない。だからインターネットなんかで、出会い系サイトであるとかなんだとかという、そういうような陰湿な犯罪にも近いような行為が平然と行われている。その中に大人が紛れ込んで、いかがわしいようなことで時々摘発されているような記事をよく見るわけであるけれども、これほどに荒廃した状況を見るときに、大人の我々として、また教育に携わる者としては、ほっておく手はないと思うので申し上げた。一度これ知事の方から御意見をお聞かせいただきたい。

◯知事;教育分野でいろいろお考えいただくことであるけれども、特に教科書については、これは国として最大細心の注意を払って教科書をつくるということが大事であるし、何によって教えるか、何によって学ぶかとか、だれから学ぶのかとか、いろいろなことがあるし、また、こういう保健あるいは家庭科とかの分野以外にも、宗教とか倫理とか文学とかいろいろなことが総合的に子供たちに、バランスをとれて与えられないと、決して立派な日本人はできないので、そういうことを国も、我々は我々の立場で進めていくということが大事だと、一般的なお話であるが、思っている。

◯小泉委員;私もそう思う。
 そこで、これらの中で触れられてない一番の盲点は、家庭の役割が何ら触れられていない。私は、家庭にあってお母さんやお父さんの立場、あるいは兄弟、あるいはおじいちゃん、おばあちゃん、この家庭というものに触れられていない。表題には上がっているけれども、それが置き去りにされている。本当にお母さんが自分の子供がかわいいのかどうなのかさえここでは伝わってこない。こういう家庭教育と、いわゆる一般社会を対象にした社会教育とそして学校教育、この三者がきちっといいスクラムを組んで教育環境をつくらないと、私はこういう基本的な問題解決にはならないだろうと思う。そうすると、教科書というものは検定で認めているのだからどうにもしようがないということになってしまうのか。私は機会を見て提言するところは提言すべきだと思うので、再度、教育長、何かのときにこういうことを提言するなり、そういう研究機関とかそういうようなものを設けてでも検討、研究する意思はあるか。

◯教育長;もちろん教科書会社については、いろいろな段階、チャンスを見ていろいろなことを申し上げている。
 先ほど、「一生独身、家事も仕事も一人でこなす」というのがあった。これは全部で6項目か7項目あって、要するに結婚とか仕事、それから家事、こういったのが出ているけれども、要するに今の社会におけるいろいろな事例を挙げて、子供に対して自分の生き方はどうこうというようなことを考えさせるというのが主たる目的であるという理解をしている。
 それから、例えば独身とかシングルマザーとかよく載っているけれども、これも教育の一環ということでして、特定の生き方を奨励するというものではないと思う。またそういうことがあってはいけないと私も思っている。特に極端な事例は排除すべきなのであって、やはり中庸とかバランスとかが当然そこに要求されるということがあるから、教科書の中身もそうであるし、教える方、授業そのものについてもやはりそういったことが要求されるので、いろいろな機会をとらえて、教科書の方にも要請いたしますし、学校の現場に対しても指導もしていきたいと思う。

◯小泉委員;私は卑近な例だけを申し上げたので、ちょっと誤解されてはならないと思うので、お許しいただきたいと思うが、いずれにしても、この項を見る限り、1項目であろうが6項目であろうが、これを読むのは生徒である。その生徒が消化不良を起こすような状況であってはならない。また、それがいい機会にどこにでもそういうような状況でなければならないというようなことを考えると、このあり方について研究する余地があると思う。そのことは研究していただきたいと思う。
 それから、もう1点だけ申し上げておきたいのであるが、これは「今のわたし これからのわたし」という福井市が出している副読本である。これは小学校である。
 これもずっと見ていたら、一番後の、ジェンダーフリーのジェンダーチェックをやっている項目である。私はきょう、ジェンダーフリーのことを問おうと思ったのであるが、長くなるのできょうは割愛させていただくが、「あなたのジェンダーチェック」というのがあって、子供編と大人編がある。これはどこでつくられたチェック項目かわからないが、子供チェックの場合に24項目ある。この中にこんなことがある。「女の子はそんなに勉強しなくてもよい」、「いいえ」か「はい」のどちらかである。それから、「女の子は空手や柔道などを習うことはよくない」、または、「女の子はお嫁に行くのが当たり前だ」、それから、「女の子はかわいらしくなければならない」、こういうような項目が12項目ある。男の子については、「男の子は家事の手伝いをしなくてもよい」、「男の子は持ち物の色は青や黒がよい」、このような項目を書いて、子供たちはどんな反応を示すだろうか。
 今度は大人の方へ行く。「おうちの人もやってもらおう」ということで、ジェンダーチェックの大人編というのがある。この中で、例えば一つの例を申し上げる。教育長さんはどうお答えになるか、一遍お答えいただきたい。「女性は夫のことを「主人」、男性は妻のことを「家内」というのは普通である」、「はい」か「いいえ」か、どちらだろうかというのである。教育長さん、どうか。

◯教育長;かなり個人差があるので、何とも申し上げかねる。

◯小泉委員;そうかもしれない。私は普通の人間であるので、この場合には「はい」と答える。女性は夫のことを「主人」、男性は妻のことを「うちの家内」と言うことが普通である。私もいつもそう言っているから、うちの家内、家内と言っているから、「はい」と答える。しかし、正解は「いいえ」なのである、これは。ここのチェックでいくと、正解は「いいえ」ということになる。こういう項目をつくって、多くのPTAの皆さんだとか、子供がチェックをしたその結果は、はっきり書いてある。「「はい」が10個以上あったら、まだまだジェンダーに縛られている。昔ながらの考え方が強い人だ」と。それから、4から9個あった場合は、「男女の役割をやや固定的に考えている、一緒に勉強しないか」と。ゼロから3個は、「あなたやあなたの周りは性別にとらわれない考え方である。ほかのところにさらに広めよう」というように勧めているのである。
 ジェンダー、あるいはジェンダーフリーというのをどう理解しているのか、これは基本的なものであるけれども、私どもはやはり十分研究する必要があると思う。
 福井の生活学習館、あそこの図書のところに「結婚帝国 女の岐れ道」という本がある。これは読んでいただきたいということで並んでいる。ちょっと興味があったので引っ張り出して、上野千鶴子さんとかの先ほどの研究会の中身も書いてある。この中を見ていると、「第3章、愛はなくてもセックスできるは常識なのに」という問いかけで話をしている。あるいは「第5章、去勢しない限り暴力は続くのか」、こんなことで書いてある。その本をあそこに並べて、これは読んでいただきたいという。読む人によってはいい教科書にする人もあるだろう。しかし私は、いかにもあそこに興味本位で並べてあるような気がしてならなかった。これは別に揚げ足を取るわけではないけれども、あそこの、言うなれば管理運営はどなたがしているのか。
 恐らく、私は知らないが、ユー・アイふくいという看板があるのだから、そこではないかと思うのだが、ああいうところは一般の社会教育関係、あるいはボランティア、あるいは婦人教育関係者が非常に集まるところで、いつもあそこでいろいろな会議等が開かれている公的な場所である。ああいう場所を、ここでどこが担当しているのかはわからない。しかし、どう見ても社会教育であれ、学校教育であれ、あるいは家庭教育であれ、ああいうところを利用することだけは事実である。そうなると、やはり時には目を向けてみて、それでどういう状況かということを見るのも、非常に大事なことだと思うがどうか。

◯教育長;ジェンダーとかジェンダーフリーという言葉であるけれども、これの学校現場での基本の姿勢、スタンスだけれども、紛らわしいというか、ジェンダーにしてもジェンダーフリーにしても、ある種の紛らわしさが残る、あいまいさが残るというようなことで、言葉は使わないようにという指導を徹底しているつもりである。当然、学校だから男女平等意識の育成とか、男女共同参画社会云々というような指導を行っているけれども、こういった面については、過去に行き過ぎた事例があったこともあり、事実2年か3年前にそういうのがあって厳重な注意をしたことがある。
 大事なことは、先ほども申し上げたが、やはりバランスとか中庸、行き過ぎないということだと思う。いろいろなチャンスをつかまえて、どこであれ、こういった話については行き過ぎた現象があれば、しかるべきチェックというか、いろいろな指導もしてまいるし、またそういう話もしていきたいと考えている。

◯小泉委員;最後に一つお尋ねをしたいのだが、ジェンダーフリーはきょうは余り触れていないのだが、このジェンダーフリーについては、昨年の予算特別委員会だったか、我々の屋敷委員が男らしさ、女らしさについて質問をした経緯がある。私もそこでお尋ねをしたいのだが、男女共同参画社会の基本法がある。これと、今もろもろのことを申し上げたが、これらを含めて、ジェンダーフリーの立場との関係については、平成14年、ちょっと古いが、参議院の内閣委員会で亀井先生の「男女共同参画はジェンダーフリーなのか」という問いに対して、男女共同参画担当者の福田康夫官房長官は、「男らしさ、女らしさを強調し過ぎるのは問題だが、時代や社会情勢が変わっても、男女の性別に起因するものは否定できない」という答弁をしている。それからさらに、板東さんという局長も、「男女共同参画はジェンダーフリーを志向するものではない」とはっきり答弁している。先ほど申し上げた屋敷委員が質問したときも、長谷教育審議幹が、「行われていない。男女混合名簿等の作成など、男女共同参画の実現や平等意識の育成などの教育をしているということである」と。ジェンダーフリーについては一言も触れておいでにならなかった。
 私はこれは仕方ないと思う。仕方ないと思うが、避けて通れないことであると同時に、これはちょっと古い資料で大変恐縮だが、そのとき触れたか触れないかわからないが、これは2003年だから2年前、「中学生に正しい知識を」ということで、大野東高校、先ほどの先生がおいでになるところで、開成中学校での授業があった。この事業は、東高校の生徒が開成中学校へ行って、エイズの感染の問題だとか、あるいはコンドームの使い方を後輩たちに話をした経緯がある。こうしたことをした結果、どういう結果があったのか。よかったのか、あるいはどうであったのか、そのことはここではわからないだろうけれども、もしその結果、こういうことがあったというようなことがあったら、公表いただければありがたい。

◯教育長;昨年3月にも、当時の屋敷委員からこのような御質問をいただいている。その前年度には開成中学でありましたが、私どもも先ほど行き過ぎた、過去にも注意したことがあると申し上げたけれども、その例の一つが、今委員が言われたものである。今、ジェンダーとかジェンダーフリーとか出ているけれども、恐らく違うものだと思うし、何よりもジェンダーとかジェンダーフリーということそのものがすっと対応するほどこなれている言葉かどうかの問題があろうかと思う。そういった意味で、今の学校教育、あるいは生涯教育で使ってはいけないと、このように申し上げている。
 また、大事なことは、極端なことは避けるというのが一番大事なんだろうと思う。

◯小泉委員;そのとおりだと思うので、ぜひひとつ、軽んじるのではなしに、また避けて通るのではなしに積極的に正面から立ち向かってほしいと思う。
 私も未熟だけれども、パソコンをやる。インターネットをやる。インターネットでその項目を当てると、これはもう大人の私でも、とてもじゃないけれども見られるような内容ではない。あれがなぜ規制ができないのだろう。もう本当に、痛くなるほどそう思う。これはぜひ今度全国知事会ぐらいで御提案いただいて、あの項目についての検討を、これは知事会がそんなところまでと言われるかもしれないが、一遍ぜひ実態を見て、検討いただくということはいかがかと思う。
 以上で終わる。

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